ロンドンでの生活とコロナの影響

regent street
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最初に新型肺炎のニュースをちゃんと聞いたのは、1月の終わりの方でした。

BBCをつけっ放しにしていたら、日本でのクルーズ船のニュース。
そこで隔離されているイギリス人夫婦がリポーターのように毎日レベルで出ていて、番組でも全体的に日本を批判する内容が多かったように思います。
(イギリスの船なのに、、とは未だに思うけれど。。)

そのうちにだんだん、アジア人が差別されるという話を聞き、
一人で電車やバスに乗るとき、大丈夫かな、、と内心毎回ドキドキしました。
マスクしたいけど、するのも逆に何かあったら、、と。

結局1回だけ、隣にいたおばさんがなぜか離れたところに座り直したくらいで他は何も言われたりすることはなかったから、まだよかったです。

3月始めくらいになると、ロンドンの中心部で、まだ夜遅くもない時間に
タイ人の学生がコロナのことで暴行を受けたというのを聞き、
ますます出かけるのが嫌になりました。

イタリアではもうコロナのニュースは大事になっていたようだけれど、全体的にイギリスだと、
まだこの時点では対岸の火事のような雰囲気があったと思います。

そんな中、仕事の行き帰りにいつもオックスフォードストリートを通ることが多く、一番の繁華街でいつもは人が多くてぶつかりそうになるのに、
ふと、避けなくても大丈夫になっていることに気づきました。

普段は人であふれるリバティ前通り
ロンドンナショナルギャラリーの前

中旬以降はさらに人が減って、お土産屋さんなんて開店休業状態だし、ファッション店のいくつかは、すでに暫く閉める張り紙が貼られていました。

ロンドンのロックダウンの直前になると、駅はいくつか閉鎖されて、ソーホーでも警察官や少数の人が歩いているだけ。リアルに映画「28日後」を思わせるような光景になっていて、もはやマスクをするかどうかなんて迷うこともなく、こんな中に出かける必要があることに後ろめたさを感じたし、外出禁止令がでるのはもはや時間の問題とひしひしと感じました。

スーパーに行っても、最初はトイレットペーパーや消毒液だけの話だったのが、生鮮食品の野菜、肉すら一気にからっぽになって、たった短期間でここまで日常が変わってしまうことに、愕然となりました。

でも、、この感覚はすでに知っているぞ、、と考えた時、9年前の東日本大震災で経験した、毎日の余震、地震のニュース、、同じCM、、

「日常」って思っていたことは、当たり前なんかじゃなかった、と、
節電で昼間も暗い電車に乗りながら思った記憶を思いだして、

時間が経って、忘れてしまっていた部分があったと思います。

こうしてロックダウン=外出制限(買い出しと1日1回のエクササイズ目的以外は原則禁止)となって、
未だに不自由もあるけれど、
ごはんが毎日頂けて、
連絡が取り合える友達や家族、
また、感染のリスクがありながら社会のために働いてくれている、

医療従事者以外でも、近所のスーパーの店員さんやごみ収集の人、、普段、見過ごしがちだったいろんなことに、改めてありがたいと、気づくことができました。

個人としてできることは少ないけれど、あらためてちゃんと声に出して、周囲に感謝を伝えたいと思います。

エクササイズ中に見つけた公園
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